2023年01月01日
マタイの福音書11章25-30節
(抜粋)
ユダヤ教の指導者たちがイエス・キリストを十字架につけたのは、彼らの心が頑固であり、神の御心を求めずに高慢であったためです。
イスラエルの民をイエス様に導くべき指導者や律法学者らは、イエス様が宣べ伝えた福音を受け入れませんでした。
イエス様が「休ませてあげよう」と仰ったのは、ご自身を受け入れるべき指導者たちに憎まれ、拒絶されるという大変な状況においてでした。
主(しゅ)イエスに従う者は、主の境遇を見るべきです。
イエス様を受け入れたのは、神の救いとは全く無関係のように扱われていた漁師や取税人、異邦人らでした。
彼らは幼子のように純粋で、貧しく、清い心を持っていたのです。
福音は常に逆説です。神のご計画は世の中の常識では計り知ることができません。「そうです、父よ、これは みこころにかなったことでした」。
神の御心は、神の御国を求める貧しく謙遜な者たちに現されたのです。