礼拝説教

キリストのからだを建て上げるためです


2024年10月21日

サムエル牧師はエペソ人への手紙4章7-12節から「キリストのからだを建て上げるためです」という題目で説教を行い、聖徒を完全に導き、共にそれぞれの場所でキリストのからだを建て上げることを勧めた。

“しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物(たまもの)の量(はか)りにしたがって恵みを与えられました。” (エペソ4:7)

一人ひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられましたと言いました。恵みは賜物です。この使徒は、私たちがするすべてのことは、主の恵みによって賜物として与えられたものであることを力強く強調しています。私たちが神の御子から受けた救いも恵みであり、私たちが受けた職分(しょくぶん)も恵みです。その恵みが贈り物のように私たちの中にあることを使徒は強調しています。

“そのため、こう言われています。 「彼はいと高き所に上(のぼ)ったとき、 捕虜(ほりょ)を連れて行き、 人々に贈り物を与えられた。」” (エペソ 4:8)

これは理解するのがとても難しい部分です。この箇所は<詩篇68篇18節>の言葉です。「あなたは 捕虜(ほりょ)を引き連れていと高き所に上(のぼ)り人々に頑迷(がんめい)な者どもにさえ贈り物を与えられた。神であられる主がそこに住まわれるために。(詩篇68:18)これは何を言っているのでしょうか。イスラエルの民が聖なる戦争を戦った後、勝利した時、相手を捕虜(ほりょ)にし、その時に取られる戦利品(せんりひん)があります。その時、主がその戦利品を受け取り、またその戦利品を人々に分け与えるシーンを表現しているのです。

“9 「上(のぼ)った」ということは、彼が低い所、つまり地上に降(くだ)られたということでなくて何でしょうか。10この降(くだ)られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上(のぼ)られた方でもあります。” (エペソ 4:9-10)

これはどういう意味でしょうか、「上られたということは、下(お)られたということではないか」ということです。神の御子は低くなられて、この地に降(くだ)りて来られました。そして、私たちの罪のために死んでくださいました。<へブル人への手紙>には、主が「死によって死に勝った」と表現しています。主は勝利者です。その主は、死ぬだけでなく、復活し、昇天(しょうてん)されました。この全ストーリーを私たちは福音と呼んでいます。ここでパウロは、主が低くなることによって高くなったことを言っています。これが主の勝利です。

“…すべてのものを満たすために、…” (エペソ4:10b)

ここでの「満たす」は、ギリシャ語で「プレロマ(πλήρωμα、Pleroma)」です。この満たすはどこから来るのでしょうか。これは無にすることから来るものです。無にするにはギリシャ語で「ケノシス(κενόω、Kenosis)」と言います。無にすることで満たされるのです。これは、主が低くなることで高くなられたのと同じです。<第二コリント8章9節>にこんな御言葉があります。「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧(まず)しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(Ⅱコリント8:9)。主が富(と)んでおられた方でありながら、貧(まず)しくなる(無になる)ことによって、私たちを富む(満たされる)ようになりました。この世界が私たちに開かれると、主が誰であるか、なぜ主がキリストであるかを知ることができます。

“11こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。12それは、聖徒たちを整(ととの)えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。” (エペソ 4:11-12)

教会には様々な役職(やくしょく)があります。使徒、預言者、福音を伝える者、牧師、教師、そして奉仕の仕事をする者がいます。この教会の職分については、<ローマ書12章>と<第1コリント人への手紙12章>にもっと詳しく記録されています。この職分を大きく4つに分けます。「礼拝する者、預言者、教師、執事」です。礼拝する者と祈る者は、教会の垂直的(すいちょくてき)な2つの柱(はしら)です。そして、教える者(教師)と奉仕する者(執事)が本当に重要です。教師はなぜ重要なのでしょうか?教師は神の御言葉を管理し、御言葉を解釈し、教える者だから重要です。奉仕する者はなぜ重要なのでしょうか?この職(しょく)も言うまでもなく貴重です。彼らは日用の糧を配(くば)る者たちです。みなしごや、やもめと旅人(たびびと)に仕えることは基本的な主の命令です。彼らは教会でこの命令を実行(じっこう)する者たちです。そして、彼らは弱い者たちを励(はげ)まし、彼らの必要を満たすのです。

では、なぜ私たちにこのような様々な職分を与えてくださったのでしょうか。与えられた目的が3つあります。次の箇所を見てみましょう。

“それは、聖徒たちを整(ととの)えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。” (エペソ4:12)

私たちにミニストリーを与えてくださった1)最初の目的は、信徒を整(ととの)えるためです。 韓国語聖書とキングジェームス(KJV)聖書では「完全にする」と訳しました。 つまり、「聖徒を完全にすること」がミニストリーの第一の目的ということです。ギリシャ語この「完全にする」という言葉は、外科(げか)で使われる言葉です。骨のようなものが「ずれたもの、壊(こわ)れたもの、傷ついたものを元(もと)に戻(もど)す」という意味です。

このように、教会は病院と同じです。傷ついた魂、引き裂(さ)かれた魂、壊(こわ)れた魂、絶望する魂が教会に来ます。そうすると、彼らを包(つつ)んで合わせ、治療しなければなりません。私たちのミニストリーと職分はそのような仕事をすることです。その仕事をするように主が私たちを召されたのです。そして、信徒を完全なクリスチャンにし、起こして、立てることが私たちの仕事です。

私たちのミニストリーの2)第二の目的は、完全になった聖徒が奉仕の働きをさせることです。奉仕をするということは、ミニストリーをすることです。信徒が神の御国と義のために生き、多くの魂を救う福音の使命者としてのミニストリーを完全に行うようにすることです。

3)第三の目的は、キリストの体を立てることです。私たちの職分の最終的な目的は、キリストの体を立てることです。これは神の御国です。神の御国は必ず来ます。歴史の究極(きゅうきょく)の収束(しゅうそく)(オメガポイント)は、キリストの体、神の御国です。教会はこの仕事のために建てられたのです。そして、私たちの職分もこの仕事をするために与えられたものです。これがまさに私たちを召された理由だとこの使徒は言っています。皆さん、主が私たちを召したこれらの理由を胸に刻(きざ)み、今週も力強く神の御国のために奉仕することを願います。Ω

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