2025年04月28日
張サムエル牧師は、ヨハネの福音書20章と21章の御言葉を中心に、教会の本質的な使命である宣教と牧会の重要性を強調し、聖徒たちの熱い主への愛が具体的な行動、すなわち「宣教」と「牧会」へと繋がるべきであると力説しました。
イエスを知ることが人生の究極の目的、宣教は神の国への献身
張牧師はヨハネの福音書20章30-31節を引用し、この書が記された目的は、イエスがキリストであることを信じさせ、彼を信じて命を得させるためであると明らかにしました。彼は、四つの福音書を通してイエスを知るべきであり、さらに他の人々にもイエスを知らしめることが、聖徒の人生の究極の目的であると強調しました。特に、教会員は宣教が身についていなければならず、宣教は教会の存立目的であり、聖徒たちが召し出された理由であると説明しました。
真の愛は神の愛、行いによって現れる愛
主を熱く愛するという言葉の意味を改めて考えさせながら、張牧師はヨハネの手紙一4章10節を通して、真実で変わらない愛はまさに神の愛であり、それは観念ではなく、キリストの生涯を通して私たちに示された「行い」であることを強調しました。彼は、世の知恵を嘲弄したコリント人への手紙一1章の御言葉に言及し、真の知恵はまさにこの神の愛であると力説しました。
心で信じ、主の愛を知るべき、連合の神秘
主の愛は頭で理解できるものではなく、心で信じ、経験しなければならないと張牧師は強調しました。ローマ人への手紙10章10節を通して、心で信じて義に至り、口で告白して救いに至る過程を説明し、主の愛を経験したことのない者は教会の中に留まることはできないと断言しました。また、ヨハネの福音書14章20節を引用し、イエスと私たちが連合する神秘は、聖霊を通してイエスの愛を悟り、熱く愛するときに実現すると説明しました。このような愛の連合なしには、どんなに熱心に働いても無駄であることを指摘しました。
復活後の復興は主の力によって、「御言葉に拠り頼んで」進め
復活祭以降、復興の時が来たものの、私たちの力だけでは不可能であるとし、ルカの福音書5章のペトロの漁の 이야기를例に挙げました。ペトロは一晩中苦労しましたが何も獲れませんでしたが、主の御言葉に拠り頼んで網を下ろしたとき、豊かな収穫を得たように、聖徒たちも主の御心と御命令に従い、主の御名によって進むとき、豊かな実を結ぶだろうと励ましました。宣教は神の国への献身であり、主のために献身した者は百倍、千倍の祝福を受けると付け加えました。
牧会の核心は「私の羊を養いなさい」という主の御命令、愛をもって羊を飼いなさい
牧会において最も重要なことは、自分が主の羊を飼っていることを悟ることであると強調し、ヨハネの福音書21章15節を通して、イエスがペトロに「私の羊を飼いなさい」と三度も繰り返して言われたことを想起させました。これは、主を愛する方法がまさに主の羊を養うことであることを示していると説明しました。牧会者は主がご自分の羊を愛するように羊を愛し、羊は主に従うように牧会者に従う正しい関係を強調し、信仰はそのような関係を支える力であると付け加えました。
結論として、張牧師は、聖徒たちが主を知ることからさらに進んで、「彼を知らしめる」力強い宣教を始めるべき時であることを強調し、説教を締めくくりました。