2021年09月26日
ピレモンへの手紙 (中)
ギリシャ語で「知る」という言葉は、「愛する」という言葉と深く関わっています。
私が誰かを愛しているとき、それは私がその人をよく知っているということでもあります。
私たちが人を愛するのなら、そのときに私たちはその人を深く知ることになるでしょう。
パウロには、オネシモに対する愛、そしてピレモンに対する愛がありました。
それゆえ、オネシモのことも、ピレモンのこともよく知っていたのです。
パウロの謙遜で柔和な言葉を見てください。(10~15節)
人の言葉が荒々しくなるのはなぜか。それは神様の愛を失ったからです。
私たちの内に神様の愛が回復されるならば、私たちの言葉も柔らかくなります。
私たちが神様の愛を知るならば、パウロのように他者の心を理解することが出来ます。
愛するようになると、それまでは見えなかったものが全て見えるようになります。
母親には、我が子の小さな仕草や素振りから子どもの心の内が手に取るように分かります。
なぜなら、母親は子を深く愛しているからです。
子が誰にも打ち明けていないことでさえ、母親は敏感に感じ取り、既に知っているのではありませんか。
愛はすべての罪を覆うとあります。(Ⅰペテロ4:8)
愛があることで、むしろ欠点がよりはっきりと見えるのですが、キリストの愛はその欠点を覆います。
愛のある人は、人を攻撃したり、人を裁いて打ちのめそうとはしません。
私たちは愛に従って生きるとき、誠に知恵ある者となります。
私たち一人ひとりにこの愛の知恵が、パウロのように満ちるようになれば幸いです。