2022年01月16日
ガラテヤ人への手紙4章16-31節
(抜粋)
私たちは主なる神様の約束の言葉を人間的な水準で判断することがあまりにも多いのです。聖書の言葉に従うのではなく、「主よ、それはもうやってみましたが、うまく行きませんでした」と聞く耳を持ちません。使徒ペテロのように「しかし、主のおことばですので、そのとおりにしてみます」(ルカ5:5)という信仰が大切です。
アブラハムの妻サラは、天の星のように多くの子孫を与えるという神様の約束を諦め、自分の女奴隷をアブラハムに送って子を得ました。その決断は大きな葛藤の種となり、自分だけでなくその子孫をも苦しめることになりました。自分の行いによって得ようという考えは律法的であり、虚しさと不安が残るだけです。
イエス・キリストは私たちを律法から解放し、恵みによる自由を得させてくださいました。私たちはそれに自分の考えを混ぜてはいけません。
私たちはキリストの恵みに満たされて生きるべきです。キリストの愛に浸って生きる人は決して疲れません。主の約束という希望があるからです。律法的な考えを取り除いて信仰の人になりましょう。