2025年08月31日
*本文:テサロニケ人への手紙 第一 1章2-10節 (all)
†私たちがテサロニケ書を理解するうえで最も重要な二つの言葉は「迫害と患難」です。歴史上、時代ごとに特に激しい迫害を受ける教会が存在してきました。私たちはそうした教会を心に留めています。現代においても同様に、最も厳しい迫害に直面し、数多くの挑戦を受け、深刻な患難を経験している教会があれば、私たちはその教会のことを特別に覚えておくべきでしょう。このような視点から見ると、テサロニケ書は時代や場所を超えて、最も厳しい迫害と患難の渦中にある信仰共同体に向けて書かれた普遍的なメッセージと言えるでしょう。
テサロニケ教会は、激しい迫害と絶え間ない患難の中でも生き残り、信仰を守り続けた教会です。彼らが受けた迫害があまりにも過酷であったため、信者たちの唯一の希望は「主が再び来られて、自分たちをこの迫害と患難から救い出してくださること」だけでした。
《使徒の働き16章》によれば、パウロはテサロニケに到着する以前に、すでにマケドニア地方の最初の主要都市であるピリピにおいて激しい迫害を経験していました。彼と同行者たちは投獄され、数々の脅迫を受けるなど、極めて厳しい弾圧に直面していたのです。これこそが伝道の道の現実でした。使徒の働きが私たちに示しているのは、パウロがこのような激しい患難と迫害によって幾度となく都市から追放されながらも、そこに教会を設立することなく去ることはほとんどなかったという事実です。パウロは苦難と迫害の渦中にあっても、聖霊の力強い働き、すなわち神の力によって、彼が訪れた都市ごとに教会を建て上げていきました。そうして建てられた教会の中で特筆すべきは、マケドニア地方の最初の重要拠点に設立されたピリピ教会であり、続いて建てられたのがテサロニケ教会でした。
教会史によると、ローマの著名な皇帝コンスタンティヌスが西暦313年に「ミラノ勅令(Edict of Milan)」を発布したことにより、それまで迫害の対象であったキリスト教徒の信仰が初めて公に認められることになりました。この歴史的な勅令の後、コンスタンティヌス大帝はローマ帝国の首都を東方へと移転し、コンスタンティノープル(Constantinople、現在のイスタンブール)という新たな都市を建設しました。では、アテネからテサロニケを経由し、コンスタンティノープルへと続くこの壮大な宣教の道はどのようにして切り開かれていったのでしょうか。それは使徒パウロとその同労者たちが、言葉に尽くせないほどの激しい迫害と深い患難に耐え忍びながら、一歩一歩と信仰の足跡を残していった結果なのです。
その宣教の道のりの中で、特に激しい迫害を経験した教会がテサロニケ教会でした。パウロはこの地で壮絶な迫害に直面し、最終的には都市から追放されるという苦難を味わうことになりました。パウロを迫害した反対勢力は、都市の政治指導者たちを巧みに扇動し、新生の教会に多くの患難をもたらしました。この一連の試練の詳細は使徒17章に克明に記録されています。しかし、ここで注目すべき事実は、教会に対する迫害が激しければ激しいほど、神の働きもまたそれに比例して力強く現れたということです。《使徒17章》の記述によると、パウロは3週間にわたって、ユダヤ教の会堂に通って熱心に説教を続けました。そして、その情熱的な説教に触れた多くのギリシア人の心が動かされ、福音を受け入れるという出来事が起こったのです
《テサロニケ書》は、パウロの第二次宣教旅行中、コリントの地で記されたと考えられています。この書簡は新約聖書の中でも初期に執筆された文書であり、一部の聖書学者たちはこれを最も早い時期に書かれたパウロの書簡だと主張しています。興味深いことに、《ローマ書》もコリントで記され、《テサロニケ書》も同じくコリントで執筆されました。
《テサロニケ書》は、パウロとシラスとテモテという三人の宣教者が、コリントで共同して書き上げた手紙です。この書簡は、ユダヤ人たちの激しい敵意によって絶え間ない迫害と患難に直面し、様々な苦しみの中に置かれていたテサロニケの信徒たちに向けて書かれたものでした。この手紙はおそらく、執筆者たちの涙とともに記されたことでしょう。なぜなら、教会の三人の指導者全員がコリントに集結する一方で、テサロニケの信徒たちは迫害の嵐の中に取り残されたような状況にあったからです。彼らに神の御言葉を教え、信仰の基盤を築いてくれた霊的指導者たちが、迫害のために教会を離れざるを得なかったのです。このような背景から、三人の指導者たちが心を一つにして、涙ながらに記したのがこの《テサロニケ書》だったのです。それでは、《1章》に戻りましょう。
「…あなたがたすべてについて、いつも神様に感謝しています。」(Iテサロニケ 1:2b)
この箇所から、私たちは初代教会が愛によって深く結びついていた姿を感じ取ることができます。今日も最も激しい患難と迫害に直面している世界各地の教会に対して、私たちの心もパウロたちと同じような愛と配慮に満ちているべきでしょう。パウロはここで神様に感謝していると語っています。では、パウロがテサロニケ教会に関して絶えず神様に感謝していた理由は何だったのでしょうか。それは単に「彼らが生き延びている」ことへの感謝だったのです。言い換えれば、彼らの信仰が激しい迫害の中でも崩れることなく堅く保たれていることへの深い感謝の気持ちでした。
「私たちは、あなたがたのことを覚えて祈るとき、…」(Iテサロニケ 1:2a)
この箇所が示すように、パウロ、シラス、テモテという三人の霊的指導者たちは、神様に祈りを捧げる際、いつも迫害の火の中にあるテサロニケ教会の信徒たちのために執り成していたのです。これこそが初代教会の真の姿でした。主の聖なる息吹と愛の情熱が使徒たちを通してこのように次の世代に受け継がれていったのです。同様に現代を生きる私たちも、世界の様々な地域で患難の中に苦しんでいる数多くの信仰の兄弟姉妹たちがいることを心に留め、日々の祈りの題目の中に、彼らのための祈りが含まれているべきではないでしょうか。
「私たちの父である神様の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦(ろうく)、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。」(Iテサロニケ 1:3)
《第一コリント人への手紙13章》では、信仰、希望、愛という順序で記されていますが、この箇所では信仰、愛、希望という独特の順序で語られています。非常に特別な存在であったテサロニケ教会の卓越した信仰について、パウロをはじめとする3人の共同執筆者たちがこのように力強く証言しています。
まず第一に、彼らの信仰について証言する際に、「信仰から出た働き」という表現が用いられています。英欽定訳では“Work of Faith”と訳されているこの言葉は深い意味を持っています。ここで言及されている「信仰」とは、熱せられた炉(あるいは炉の猛烈な火)のような激しい苦難に耐え抜いた信仰を指し示しているのです。《ヨブ記23章10節》には「しかし神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る」という深遠な御言葉があります。ヨブは自分が経験した苦難の本質的意味を「神様が灼熱の炉のような試練の中に自分を置き、純化させることで、純金(pure gold)のように価値あるものに作り変えるための苦難だった」と洞察に満ちた告白をしています。同様に、パウロはここで手紙を通して、テサロニケ教会を「鉄の炉のような灼熱の迫害に耐え忍ぶことで、純金のように貴重で美しく形作られた教会」として証言しているのです。
そして、「信仰から出た働き(Work of Faith)」という表現の中の「働き」という言葉は、テサロニケ教会において顕著に現れた数々の「働き」を指し示すものです。この「働き」とは、信徒たちの揺るぎない信仰を通して神様の力が目に見える形で現れたことを意味しています。《第一コリント4章20節》には「神の国は、ことばではなく力にあるのです」という深遠な御言葉があります。パウロはテサロニケの信徒たちに対して「あなたがたの信仰によって生じた驚くべき出来事についての知らせが広く伝わり、多くの信者たちに霊的な慰めをもたらし、生きた模範となっている」として称賛を送っているのです。したがって、ここでパウロが言及している「信仰」は「神の力を信じる信仰」とも言い換えることができるでしょう。神様の持っておられる様々な能力の中で最高の能力とは何でしょうか。それは、死者を生き返らせる能力、すなわち、復活の能力に他なりません。そういう意味で、信仰の中で最も高い次元の信仰もまた、復活を確信する信仰だと言えるのです。
私たちが持つべき信仰とはどのようなものでしょうか。パウロが私たちに一貫して教え続けてきた信仰は、まさに「復活の信仰」だったのです。この復活信仰は、どんなに激しい迫害と患難に見舞われても、私たちは死なないという確信です。たとえ死んだとしても、再び生きるという揺るぎない希望です。これこそが迫害と患難の中にいる信徒たちに与えられた主からの最も力強い慰めなのです。パウロはこの慰めをテサロニケの信徒たちに伝えているのです。「あなたがたの揺るぎない信仰を通して、神様の力が驚くほど豊かに現れた」ということを称賛しているのです。
第二に、テサロニケの信徒たちの愛について証言する際に、パウロは「愛から生まれた労苦」という表現を用いています。英欽定訳では"Labor of Love"と訳されているこの言葉は深い意味を持っています。"Labor"とは文字通りの「労働」を意味します。言い換えれば、それは流される「汗」と「苦労」を表しているのです。まるで母親が我が子のために惜しみなく自分を捧げ、あらゆる苦労を厭わないように、テサロニケ教会はそのような自己犠牲的な愛の労苦に満ちた教会だったのです。真に驚くべきことに、まさに燃え盛る炉のような激しい患難の只中にあったこの教会の信徒たちの間に、むしろ逆境によって鍛え上げられた折れない堅固な信仰があり、互いのための苦労を厭わない熱い愛が息づいていたのです。
そして第三に、テサロニケの信徒たちの中にあった希望について証言する際に、パウロは「望みに支えられた忍耐」という表現を用いています。英欽定訳で "Patience of Hope" と訳されています。《ローマ8章24-25節》においてパウロは「24 私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。25 私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます」と語っています。クリスチャンは本質的に希望の中に生きる者たちです。この希望は未来に関するものです。それゆえ、その希望が実現されるまでの間、私たちには忍耐が不可欠なのです。パウロはここで、他のどの教会よりも苛烈な迫害と患難に忍耐強く耐え抜いてきたテサロニケ教会の忍耐を証言しています。
皆さんは今、迫害と患難の状況下にあるでしょうか。もしそうであるなら、時にはヨブ記を開き、また時には《第二コリント11章》を読んでください。使徒パウロが自ら経験した数々の迫害と患難についての御言葉に触れ、黙々と忍耐しながらも、希望に満ちた未来に向かって歩み続けることを願っています。
《テサロニケ書》には、信者たちが激しい迫害の渦中にあるとき、終末への希望を抱きながら投げかける「主の再臨はいつ来るのか」という問いに対する教えが記されています。終末の時と時期について、信者が極端な解釈に走ると、その信仰が歪められてしまう危険性があります。そのため、卓越した聖書教師であり、ラビでもあった使徒パウロは、終末に関する健全で正しい理解を与えるために、テサロニケ書を執筆したのです。もちろん、《第一の手紙》と《第二の手紙》には違いがあります。また、各書簡が執筆された動機も異なっています。これらの相違点については後ほど説明します。
本文に戻ると、パウロはテサロニケの信徒たちの中に見出された 1) 信仰から出た働きと 2) 愛から生まれた労苦と 3) 望みに支えられた忍耐について称賛した後、さらに一つの美しい証言を加えています。
「神様に愛されている兄弟たち。…」(Iテサロニケ 1:4a)
パウロはここでテサロニケの信徒たちに対して「激しい迫害に苦しんでいる兄弟たちよ、あなたがたに対する神様の愛は計り知れないほど大きい。だから、心から喜びなさい」と語りかけているのです。この励ましは、イエス様が山上の説教で語られた八つの祝福の最後の宣言、もしくは《第二コリント1章》の慰めについての教えとも通じるものがあります。使徒パウロは自らの体験を通して、神様が彼に生きる望みさえ断たれるほどの激しい患難と迫害を経験させた目的は、「神様の慰めを与えるため」と言いました。今、パウロはテサロニケの信徒たちに、まさにその深い理解から発する熱意をもって「神様は私たち使徒たちよりも、あるいは他の教会の信徒たちよりも、あなたがたをより深く愛しておられる」と告げているのです。
「…私たちは、あなたがたが神様に選ばれていることを知っています。」(Iテサロニケ 1:4b)
ここでの「選ばれていること」とは、「神はあなたがたを決して見捨てることなく、終末の時にあなたがたを特別に選び出し、神の御座のそばに置いてくださる」ということです。
「私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いたからです。…」(Iテサロニケ 1:5a)
パウロはここで再び「復活の信仰」の本質を力強く強調しています。《ヨハネ11章25-26節》の御言葉が示すように、真の信仰とは「死んでも生きること」と「永遠に決して死ぬことがないこと」を堅く信じる信仰なのです。私たちはこの信仰によってこそ、日常生活の中で神の力を体験することができるのです。また、パウロは「神の国は、ことばではなく力にあるのです」(1コリント4:20)と宣言しました。これこそが私たちが受け継ぎ、学び続けるべき信仰、すなわち復活の信仰の核心です。注目すべきは、パウロがこの箇所で「私たち」という表現を用いていることです。この言葉は、手紙を執筆している三人の指導者だけでなく、この手紙を受け取るテサロニケの信徒たち全員を含んでいます。パウロはここで「私たち全員がこの復活の信仰の上に共に立つ者であり、また同時に私たちこそがその尊い信仰の継承者である」と言っているのです。
「…あなたがたのところで、私たちがあなたがたのためにどのように行動していたかは、あなたがたが知っているとおりです。」(Iテサロニケ 1:5b)
パウロはここで、自分と同労者たちがピリピからテサロニケに至るまでの険しい旅路において、福音を伝えるためにどれほど困難な過程を経験してきたかを、読者に思い起こさせています。第二コリント11章には、パウロが福音宣教の過程で受けた数々の迫害と患難の経験が詳細に記録されています。福音が広がっていく道筋には、実にこのように多くの患難と迫害が伴うものです。しかし、まさにそのような多くの困難を通してこそ、かつてのローマ帝国の大通りに匹敵するような福音の大道が切り開かれていくのです。あらゆる民族が主に近づくための新しい道がこのような犠牲と忍耐を通して開かれていくのです。
「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。」(Iテサロニケ 1:6)
テサロニケ教会は、外的には激しい迫害に直面しながらも、真理の教えを喜んで受け取りました。そして、パウロたちの模範に倣い、さらには主イエス・キリスト自身の苦難の道に従う者となっていったのです。今日、私たちも、世界中で多くの迫害と患難の中にいる人たちと同じ道を歩んでいます。
「その結果、あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。」(Iテサロニケ 1:7)
パウロの時代における「マケドニア」とは、ローマ帝国の北部地域を指し、ピリピ、テサロニケ、ベレヤといった都市を含む広範な地域でした。一方「アカイア」は、ローマ帝国の南部地域を指し、アテネとコリントを含む地域でした。パウロは、テサロニケ教会の信徒たちの信仰が、これらの広範な地域に散在するすべての信者たちにとっての模範となったと称賛しています。彼らの信仰は、激しい迫害と深い患難の炎の中でこそ、一層鮮やかに輝きを放ったのです。
では、現代を生きる私たちの信仰はどうでしょうか。真のクリスチャンの信仰は、安楽で豊かで快適な環境の中では必ずしもその本質が明らかになりません。むしろ、患難と逆境という試練の中でこそ、その信仰の光がより明確に、より力強く現れ出るのです。
「主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神様に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。…」(Iテサロニケ 1:8a)
苦難を忍耐強く耐え抜いたテサロニケ教会の信仰は、マケドニアとアカイアの地域を超えて遠く広範な地へと広がり、多くの信徒たちの模範となりました。「彼らはこれほどの厳しい状況にあってもこのような信仰を堅持し、彼女らはあのような迫害の中でも揺るがない証しを立てた」という具体的な証言が、数多くの信者たちの間で広く語り継がれていったのです。私たちが長い年月を経た後、共に集まって過去を振り返るとき、いったいどのような話が最も深く私たちの心に響くでしょうか。それは主のために最も苦労を重ねた体験、信仰のゆえに迫害された経験、寒さに震え、空腹に苦しんだ日々の記憶ではないでしょうか。このような多くの患難に忍耐強く耐え抜いた人々こそが後の時代に純金のように輝き、彼らの人生の物語があらゆる世代の信徒たちにとっての模範となるのです。
「…そのため、私たちは何も言う必要がありません。」(Iテサロニケ 1:8b)
なぜパウロはここで「何も言う必要がない」と語っているのでしょうか。彼自身の中には、テサロニケの信徒たちとは比較にならないほどの労苦と涙と苦痛の物語が数多くあるはずです。しかし、パウロはこの言葉によってテサロニケ教会を慰め、励ましているのです。これは「あなたがたが苦難をこれほど忍耐強く耐え、純粋な信仰を守り通しているさまを見て、私はもはやこれ以上何も教えることはない」という意味です。
「人々自身が私たちのことを知らせています。私たちがどのようにあなたがたに受け入れてもらったか、…」(Iテサロニケ 1:9a)
ここでの「人々自身」とは、テサロニケ教会の驚くべき信仰についての噂を各地で耳にした人々を指しています。彼らがパウロとその同労者たちに対して、テサロニケの信徒たちについて自発的に証言していたのです。「私たちがどのようにあなたがたに受け入れてもらったか」という言葉は、使徒17章に記されている出来事を指しています。パウロの一行がピリピでの激しい迫害を避けてテサロニケに入り、彼らに福音を宣べ伝えた話です。
「…また、あなたがたがどのように偶像から神様に立ち返って、生けるまことの神様に仕えるようになり、」(Iテサロニケ 1:9b)。
この《9節》と《10節》は、パウロがテサロニケの信徒たちに彼らの信仰の旅程を思い起こさせる内容となっています。私たちが人生の患難に直面した時、信仰の原点を思い出すことで、現在の困難を乗り越える力を得ることができるのです。パウロはピリピの信徒たちに宛てた手紙の冒頭でも、同様の励ましの言葉を記しています。「あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。」(ピリピ 1:6) 私たちも様々な困難に直面する時、主が最初に私たちを召してくださったこと、そして厳しい環境の中で忍耐強く育ててくださった主の愛を思い出すことが非常に重要です。さらに、罪深い世界から私たちを救い出してくださったこと、永遠のいのちを与え、天国の希望を与えてくださった比類なき恵みと、私たちが最初に経験した美しい愛の感動を思い起こすことは極めて大切なのです。パウロはテサロニケの信徒たちにこのような世界を語りかけています。
「御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神様が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。」(Iテサロニケ 1:10)
テサロニケの信徒たちが直面した激しい迫害の状況を考慮して、パウロは彼らに終末論について特に多くを語ったようです。そのため、テサロニケ前書には、主の再臨が迫っていることを強調する内容が数多く記録されています。
興味深いことに、第四福音書と呼ばれる《ヨハネの福音書》の最終章である《21章》にも、終末論に関する重要な教えが記されています。元来、《ヨハネの福音書》は《20章》で完結する予定でしたが、後に特別な霊的必要性から《21章》が追加されたと考えられています。それは、終末についての深遠な教えを与えることでした。《ヨハネ21章19節》で主がペテロに「わたしに従いなさい」と命じられた後、ペテロは振り返ってヨハネを指差し、「この人はどうなのですか」(ヨハネ 21:21)。と尋ねました。イエス様の答えは、「あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」(ヨハネ21:22)というものでした。
《マタイ10章》には、イエス様が弟子たちを宣教のために派遣される際に語られた重要な説教が記録されています。その中に次のような言葉があります。「一つの町で人々があなたがたを迫害するなら、別の町へ逃げなさい。まことに、あなたがたに言います。人の子が来るときまでに、あなたがたがイスラエルの町々を巡り終えることは、決してありません。」(マタイ 10:23) 当時のイスラエルの町々は比較的小規模でした。「人の子が来るときまでに、あなたがたがイスラエルの町々を巡り終えることは、決してありません」というイエス様の言葉は、主が昇天された後、「もうすぐ再臨される」という切迫感を伝えるものでした。
《ヨハネ21章》において、ペテロが主にヨハネの将来について質問した背景には理由がありました。伝承によれば、ヨハネはイエスの弟子たちの中で最も長寿を全うした人物だとされています。初代教会に伝わる記録によると、高齢となったヨハネは杖に頼りながら公の場に姿を現し、もはや長い説教をする体力はなく、「互いに愛し合いなさい!」というシンプルながらも本質的なメッセージを短く語るだけだったと言われています。彼はこのように長命であったヨハネの生存期間中に、昇天された主が「再び地上に来られるのか」という問いを投げかけていたのです。これに対する主の答えは、「いつとか、どんな時とかいうのは、あなたがたの知るところではなく、あなたがたはわたしに倣って、わたしが命じ、教えたことを行うことに熱心になりなさい」(使徒 1:7-8、ヨハネ 21:19)と諭されたのです。
初代教会は数多くの厳しい迫害の中で信仰を守り続けていました。迫害は常に残酷なものでした。このような過酷な状況に置かれた信徒たちの間には「主はいつ再び来られるのか」、「携挙はどのような形で実現するのか」など、主の再臨に関連した切実な問いが自然と生じていたようです。彼らに霊的な慰めと力を与える目的で、主の再臨と神の働きについての様々な教えが教会内で語られていたと考えられます。第一と第二のテサロニケ書も、まさにこのような文脈の中で記されたものなのです。
「御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神様が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。」(Iテサロニケ 1:10)
《第一テサロニケ1章》において、パウロ、シラス、テモテという三人の共同執筆者がテサロニケの信徒たちに最終的に伝えようとした核心的なメッセージは次のようなものでした。「あなたがたが堅く守り抜いている主の再臨に対する信仰は、私たち使徒たちも同じように大切にしている信仰であり、生きる希望です。だからこそ、どんな迫害の中にあっても、その信仰を守り続け、屈することなく歩み続けなさい。
皆さん、私たちがパウロ使徒のこの復活信仰をもって、再び来られる主を待ち望みながら、新たな一ヶ月も毎日希望の中で力強く前進しましょう。お祈りします。Ω